大阪高等裁判所 昭和56年(う)535号 判決 1984年9月19日
主文
被告人両名につき原判決をそれぞれ破棄する。
被告人張經三を懲役八年に、
被告人能木正を懲役三年に
それぞれ処する。
但し、被告人能木正に対し本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
原審における訴訟費用中証人高尾義輝(二回)、同佐竹佐喜男、同山野宏、同林田昭作、同古川秀雄、同西尾大丈夫(第二七回公判分)、崔圭燮(二回)、同鎌倉清人、同張〓奎、同中村寅吉、同西田昌義、同小野茂、同渕脇雅子、同田中久子、同斉藤キヨミ、同近藤智恵子、同松本一盛、同松崎一二三、同飛田水義(二回)、同畠山義弘に支給した分は被告人張經三の負担、その余の証人に支給した分は被告人両名の連帯負担とし、当審における訴訟費用は被告人能木正の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、被告人張經三につき弁護人並河匡彦、同稲波英治連名作成の、被告人能木正につき弁護人和島岩吉、同大深忠延、同小野田学、同黒川勉連名作成のおよび大阪地方検察庁検察官細谷明作成の各控訴趣意書記載のとおりであり、これらに対する答弁は、被告人能木正につき弁護人和島岩吉、同大深忠延、同小野田学、同黒川勉連名作成の答弁書記載のとおりであるからこれらを引用する。
第一被告人能木正の弁護人の控訴趣意中理由不備の主張について。
論旨は、要するに、原判決は(被告人能木正の一部無罪の理由と前示事実認定の補足説明)で「被告人能木正が保険請求や受領に際し、六十谷会館の火災が放火によるものだと思つていたことも容易に認めることができる。」(原判決二六枚目裏末尾三行)と判示しているが容易に認められる理由が全く不明であり、また、詐欺罪の根幹となる共謀の内容、時期などについて原判決がどのような証拠にもとづいてどの様に認定したかは不明であり、原判決には理由不備の違法があるというのである。
よつて記録を精査して案ずるに、原判示第一の二の事実は共謀の点も含めて、原判決が証拠の標目において判示第一の各事実について挙示する各証拠を総合すると優に認められこの点について原判決に理由不備の瑕疵は認められず、また、原判決の前記補足説明に何等不明な点は存しないし、くいちがいも認められない。
所論は、被告人能木正(以下第四まで被告人という)が本件火災前に張經三から放火を打ち明けられていたとしても、それはせいぜい結果に対し疑念を生じるものにすぎず放火の実行行為が張によつてなされたとの確信にいたるとするのは即断にすぎるとし、「被告人が本件火災が放火によるものだと思つていたことも容易に認めることができる」という原判決の理由は不明であるというのであるが、本件火災保険金詐欺の犯意を構成する当該火災が放火によるとの情の認識は、確信の程度に至る場合はもちろん、未だ確信の程度に至らない認識あるいは未必的な認識であつても差支えないものであつて、必ず確信の程度に至らなければならないものではないのであるから、被告人が放火によるものだと思つていたことも容易に認めることができるとする原判決の理由が不明であるという所論は採用することができない。
また、所論は、原判決が本件火災保険金詐欺罪の根幹となる共謀の内容、時期などについて、どの証拠にもとづいてどのように認定したか不明であり理由不備の違法があるというのであるが、判決理由において共謀の時期、内容について逐一証拠との関係を示して認定するに至つた過程を判示しなければならないものではなく、これをしないからといつて理由不備の瑕疵があるとはいえず、所論は採用できない。論旨は理由がない。
第二被告人能木正の弁護人の控訴趣意中審判の請求を受けない事件について判決した違法ないし訴訟手続の法令違反の主張について。
論旨は、要するに、公訴事実は、被告人両名が事前共謀をして保険金詐取目的の放火及び保険金詐欺をした、というのであり、これに対し原判決は、放火は張經三の単独又は被告人能木以外の他の者と張經三との共謀によるものとし、保険金詐欺についてのみ被告人と張經三の共謀による犯行と認定した。しかしながら、前者と後者とでは共謀の時期、内容が自らことなつてくるのであるから訴因変更の手続を経ることなく後者のように認定することは被告人に防禦権行使の機会を失わしめこれを徒労に終らしめる危険性が大である。したがつて裁判所としては予備的訴因の追加を勧告するなどして十分な防禦の機会を与えるべきであつた。しかるに、原判決がこのような手続を経るることなく被告人に対し不意打ち的に詐欺について共同犯行を認めたのは実質的には審判の請求を受けない事件について判決したことに該当し、仮りにしからずとしても訴因変更の手続をしなかつた点で訴訟手続の法令違反があり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。
よつて案ずるに、一件記録によると、被告人に対する公訴事実は、「被告人は張經三と共謀のうえ、放火して火災保険金を騙取しようと企て、放火及び保険金詐欺をした」というのであり、これに対して、原判決は、「放火は張が自らあるいは他の者をして実行行為をし又はさせた犯行として被告人は無罪とし、保険金詐欺についてのみ被告人は張經三と本件火災が張經三の放火によるものであるのにこれを秘して保険金を騙取しようと共謀の上なした犯行である」と認定したものであることおよび原審において前者を後者と認定するについて訴因変更の手続を経ていないことが明らかである。しかしながら、刑訴法三七八条三号にいう事件とは訴因ではなく公訴事実を指すものと解されるところ、本件公訴事実中詐欺の事実と原判示詐欺の事実との間に公訴事実の同一性があることは多言を要しないところであるから、原判決が審判の請求を受けない事件について判決したとする所論は採用の限りでない。
つぎに、保険金詐欺の事実について共謀の時期、内容において公訴事実と原判示事実との間に若干差異があることは所論の指摘するとおりであるけれども、前者を後者と認定するのは質、量ともにいわゆる縮少認定に該当し、本件審理の経過にかんがみても、訴因の変更手続を経なければ被告人に不当な不意打を加えその防禦に実質的な不利益を与える場合に該当するものとは認められず、訴因変更の手続を経ることなく公訴事実を原判示事実のとおり認定した原判決には所論の如き訴訟手続の法令違反はなく、所論は採用することができない。論旨は理由がない。
第三被告人能木正の弁護人の控訴趣意中訴訟手続の法令違反の主張について。<省略>
第四検察官の控訴趣意(事実誤認の主張)について。<省略>
第五被告人張經三の弁護人の控訴趣意中理由不備または理由そごの主張について。
論旨は、原判決は、罪となるべき事実として、被告人張經三は自己または他の者をして煉炭コンロ上にポリエチレン製玉入箱数個を置きまたは置かせこれを炎上させて火を放ちと認定しているが、自己が置くという事実と他の者をして置かせるという事実は一方が認められれば他方の成立が認められないという関係にあり、そのような関係にある事実を罪となるべき事実として認定することは法が罪となるべき事実の記載を定めている趣旨を著しく没却するもので許されず、原判決には以上の点に関し理由不備または理由そごの違法がある、というのである。
よつて案ずるに、原判決書によると、原判決がその理由中に罪となるべき事実第一の一として「被告人張經三は、六十谷会館に放火して火災保険金を騙取しようと企て、同会館一階裏(東側)玉売場内カウンター腰板に近接して着火した煉炭入りの煉炭コンロを置いたうえ、自己または他の者をして右煉炭コンロ上にポリエチレン製玉入箱数個を置きまたは他の者をして置かせこれを炎上させて火を放ち」と判示していること、また、同理由中に法令の適用として、被告人張經三の判示第一の一の所為は刑法一〇八条に該当するとしていることが明らかである。そして、右法令の適用において(判示第二の一、二についてはさらに同法六〇条)としていることからすると、判示第一の一の所為については刑法一〇八条のほか同法六〇条を適用しない趣旨であることもまた明らかである。
そこで、原判決のように、玉入箱を煉炭コンロの上に置くという放火の実行行為をなしたものが被告人張經三であるかまたは同被告人の指示を受けた他の者であるかどちらかであるというような事実を認定すること(いわゆる択一的認定)が許されるかどうかについて考究することにする。右の場合、実行行為をなした者が被告人張經三であるという事実と同被告人の指示を受けた第三者であるという事実は両立しえない排他的な関係にあることは所論指摘のとおりである。そして、そのような排他的な関係にある両事実はともに他方の事実の可能性を否定しえない関係にあることが明らかである。そうすると、右両事実はそれぞれ確信にまで至つていないということができるのであつて、このような確信にいたらない事実、換言すると十分に証明されていない事実に基づいて刑を科するということは許されないといわなければならない。しかしながら右両事実のどちらかであつて、それ以外の事実の可能性はないという確信に到達した場合には、その限度では十分に証明されたと言うこともできるのでないかと解する余地もあるので、進んで本件の場合両事実のどちらかであつて、それ以外の事実の可能性はないとの確信に到達しうるか否かについて検討するに、実行行為者が被告人張經三である場合には問題がないとしても他の一方の実行行為者については、まず、証拠上特定しえない誰れかわからない第三者であるということ、さらにその者と被告人張經三との関係は共犯者なのか、あるいは被告人に操つられた道具に過ぎない者なのか、原判決が法令の適用において刑法六〇条を適用していないところからすると後者のようにも考えられるが事柄の性質上共犯であるということも十分に考えられるところで必ずしも明確であるとはいいえずこのように他の一方の実行行為者については問題があるといわなければならない。そうだとすれば、本件の場合両事実のどちらかであつてそれ以外の事実の可能性がないという確信に到達するということはありえないものと考えられるのである。したがつて、結局原判決のように放火の実行行為者が被告人張經三であるか同被告人の指示をうけた他の者かどちらかであるという如き認定は許されないものということができ、原判決の判示する罪となるべき事実には理由不備の違法があり破棄を免れない。論旨は理由がある。
よつて、被告人両名につきいずれもその余の論旨に対する判断を省略して、被告人能木正につき、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により、被告人張經三につき、同法三九七条一項、三七八条四号により、それぞれ原判決を破棄したうえ、被告人両名につき、同法四〇〇条但書により当裁判所において者ちに判決することとする。
(当裁判所の認定した罪となるべき事実)
第一 被告人張經三は、和歌山市六十谷字西加納田二三九番地の一所在の中屋重男所有の元車庫を借用してこれを木造トタン板葺平屋建一部二階建店舗兼住宅(延床面積約一三二平方メートル)に改造し、昭和三九年一〇月三一日から右建物でパチンコ店六十谷会館を営んでいたもの、被告人能木正は、同会館の営業名義人でかつ同会館の建物、パチンコ機械その他の設備等について安田火災海上保険株式会社との間に締結されていた総額四〇〇萬円の火災保険契約の契約名義人であつたものであるが、被告人両名は共謀のうえ、同会館に放火して火災保険金を騙取しようと企て、
一 昭和三九年一一月一二日午後一一時五五分すぎころ、被告人張において、同会館一階裏玉売場内カウンター腰板に近接して着火した煉炭コンロを置き、翌一三日午前〇時五分ころ、被告人能木において、右煉炭コンロ上にポリエチレン製玉入箱数個を置いてこれを炎上させ前記カウンターおよび階段などに燃え移らせて放火し、よつて同日午前〇時四八分ころ同会館の従業員三根義明ほか四名が現に居住している同会館の建物一棟を全焼させて焼燬し、
二 同日午後右火災現場に損害査定調査に来た安田火災海上保険株式会社大阪支店損害査定調査課員樫原喜太夫らに対し、右火災が被告人両名の放火によるものであるのに、その事実を秘し不慮の火災であるかのように装つて被害事実を申告して、右樫原らに損害査定をさせ、同年一二月九日および一〇日大阪市東区今橋五丁目二三番地富士ビル内同会社大阪支店等において、同人らと支払保険金の額について交渉を重ねたうえ、これに基づき被告人能木正名義で火災状況調書および損害見積書一通を作成し、印鑑証明書などとともに、同月一五日右樫原を介して同会社大阪支店火災部次長榎本和男に提出して保険金の支払を請求し、同人らをしてその旨誤信させ、よつて、同日同会社大阪支店損害査定課において、同課課員より火災保険金支払名義の下に同会社大阪支店経理課長石井銀次郎振出にかかる額面二八五万三一三円の小切手一通の交付を受けてこれを騙取し、
第二 被告人張經三は、丸和商会守口支店の名称で金融業を営んでいたものであるが、その経営資金等に窮したことから、福原こと崔圭燮と共謀のうえ、自己の妻岡島こと金幸子に経営させていた大阪府守口市京阪本通一丁目三八番地の二所在の洋酒喫茶店「四・五・一」(木造瓦葺二階建店舗兼居宅七戸一棟一階床面積約一六六平方メートル、二階床面積約一五八平方メートルのうち一戸、一階床面積約三〇平方メートル、二階床面積約二四平方メートル)に放火し、右「四・五・一」の什器、商品、家財等について東京海上火災保険株式会社との間に岡島幸子名義で締結していた総額四八〇万円の火災保険契約の火災保険金を騙取しようと企て、
一 昭和四一年七月一四日午後一〇時三〇分ころ、右崔において、被告人張經三があらかじめガソリンをしみ込ませた新聞紙を差し込んでおいた右「四・五・一」の一階北側塩化ビニール製板壁の換気扇窓付近の隙間に、火のついた煙草を入れて右新聞紙上に落下させ、これに着火炎上させて火を放ち、その結果金和美らが現に居住している右「四・五・一」の建物一棟に燃え移らせ、その一階屋根、屋根裏の〓、階下天井などの各一部を焼燬し、
二 同年同月二八日午前二時三〇分すぎごろ、右崔において、右「四・五・一」の一階南側表入口付近の旧換気扇孔からガソリン約1.8リットルの入つたビニール袋を右店内カウンター上に差し入れたうえ、火のついた煙草を右ビニール袋の上に置き、その中のガソリンに着火炎上させて火を放ち、その結果金和美らが現に居住している右「四・五・一」のある建物一棟に燃え移らせ、右「四・五・一」の一階を全焼、二階を半焼させるなどして焼燬し、 三 同年同月二九日午前右火災現場に損害査定調査に来た東京海上火災保険株式会社大阪支店損害査定部員桝井一憲らに対し、前記二の火災が自己らによる放火である事実を秘し不慮の火災であるかのように装つて被害事実を申告して、右桝井らに損害査定をさせ、これに基づき岡島幸子こと金幸子名義で保険金請求書一通を作成し、印鑑証明書などとともに、同年八月一八日ころ右桝井を介して大阪市東区高麗橋四丁目一一番地同会社大阪支店損害査定部長生田俊一に提出して保険金の支払を請求し、同人をして前記二の火災が被告人張經三らの放火ではなく不慮の火災であると誤信させて保険金の支払いを決定させ、よつて同年一一月一二日同会社大阪支店において、右桝井より火災保険金支払名義の下に同会社大阪支店長古田中鉄夫振出にかかる額面三三〇万四五四九円の小切手一通の交付を受けてこれを騙取し
たものである。
(証拠の標目)<省略>
(被告人張經三の弁護人の主張のうち主要なものに対する当裁判所の判断)<省略>
(法令の適用)<省略>
(量刑の理由)<省略>
(松井薫 村上保之助 鈴木清子)